森田必勝は何故三島由紀夫と共に割腹したか?

三島由紀夫が昭和45年に割腹自殺した11月25日が近付くと、毎年三島に関するマスコミの取上げや催しが増えてくる。
政治問題ではなく過去の出来事でもあり暢気な話だが、イザのブログも今年で終了するのでご容赦願って“いじわる爺さん”でも取上げてみたい。
始めは事実を記載しているだけだが、途中から私見が加わり、次第に主観に基づいた推論が入ってくるので異論を持たれる方もいらっしゃると思う。
酒でも呑みながら気楽にお読み頂ければ幸いです。

三島の死亡を知ったニュースが特徴的だったのは、第1報が最終結果の報告だったこと。 
「人質を取った三島由紀夫に開放を説得中」や「三島由紀夫が病院で治療中」などの中途状況の説明ではなく、彼が死んだとのニュースが第1報だった。 

しか もラジオニュースでは「死」という言葉は何ら使われず「首が落ちた」と報道された。  

「首が落ちた・・? ・・・何? ・・・あー、三島由紀夫が死んだんだ。」と間接的に死を知るような感じで、報道として奇妙な知り方だった記憶がある。
三島由紀夫を嫌っていた松本清張は「書くことがなくなったのだろう」と一蹴した。
飯沢匡は「この事件に関しては何も考えないことにする。 考えれば彼の術中に嵌ってしまう」というような意味のことを書いていた。
三島の事件に関し、知人や評論家による書籍や新聞への記載や、またラジオ・テレビで扱われたものは数多く、100件を優に超すだろう。
だが、三島と共に割腹自殺した“盾の会”の森田必勝と事件の関係に関して書かれ、或いは言及されたものは拙生が知る限り皆無である。
今まで誰も言及しなかった森田の行動に関して考え、そこから三島の行動に関して逆算してみた。

事件の日に三島に同行したのは“盾の会”の4名だが、三島が割腹する際には奇妙なシステムが取られた。
まず三島が割腹してその三島を森田必勝が介錯し、その後森田が割腹して古賀浩靖が森田を介錯した。
何故このような手順が取られたのか。
他の方法、例えば三島と森田が並んで割腹し、他の“盾の会”3名の内2人が同時に三島と森田を介錯する。
或いは、最初に森田が割腹しそれを三島が介錯し、次に三島が割腹し古賀が三島を介錯するというような他の手段は取れなかったのか。
推論からの結論はこのような方法はあり得ないことになる。
これが本稿の主題である。

森田必勝の家族・友人・知人は、皆「彼には自殺する理由は見当たらない」「自殺した訳が分からない」と言う。
にも拘らず、森田は三島と共に何故自殺したのか。
三島と共に割腹する旨を森田が自分から申し出たとしても、「君はまだ若い、これからの日本の為に頑張ってくれ」等と翻意させることは三島にとって訳もない容易いことで、これは推論だがこのことは万人の認めることと思う。
では、何故三島は森田の割腹を止めなかったのか。
この疑問は逆で、森田の割腹を三島が止めるのではなく、三島が森田の割腹を誘導したと考えるのが本推論での結論であり、つまり三島が森田に割腹を唆したのだ。
では三島は自分の自殺に何故森田まで追従させたのか、自分だけ自殺すれば目的は達せられる筈なのに。
これに関して本稿で言及する。

三島は彼の短編小説「憂国」を、三島本人の製作、監督で昭和41年に映画化し、切腹する将校役として三島自身が主演している。 

だが、切腹前後の終始をドキュメ ンタリーのように描写しただけで、切腹儀式の説明映画かの如くストーリーというものはなく、筋は単なる付け足しのよう。

「何なんだ、この映画は」と映画を見た時 に感じてしまった。
映画の題名は短編小説と同じ「憂国」だが、実質は「切腹」の題名が相応しいように思えた。

映画の公開後、三島は「切腹は映画の中だから出来たが、実際には怖くてとても出来ない」という意味のことを語っていた。

切腹シーンがある映画は多いが、演じた俳優が「実際にはとても出来ない」などと態々言うことはない。
「実際には怖くてとても出来ない」は本心であると同時に、「いつか切腹をする」という決意の表明だったと拙生は考えている。

三島は正真正銘の臆病者だったという逸話がたくさんある。
昭和20年2月、軍隊入隊前の身体検査で軍医が「この中に肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言ったとき彼は嘘をつきサッと手を挙げ兵役を逃れた「入隊拒否者」だったと自ら語っている。
空襲警報が鳴り出すと真っ先に防空壕に逃げ込んだというような逸話がある。

家族で海岸に出かけても海が怖くて泳ごうとしなかったという(彼は金槌でもあったが)。


ここから先は拙生の推論が入ってくる。
天人五衰の前に自死する手段として体裁の顕れである割腹を望んだが実際には非常に怖い。
介錯人がいない場合には腹を切っただけでは10時間以上生き続けることもあり、これにはとても耐えられない。
彼が割腹するには介錯人が必須だった。
だが、現代では介錯してくれる人などいない、自殺幇助か殺人罪になってしまう。
その為に選ばれたのが森田必勝だった。 
しかし、それにも不安があった。 割腹に挑戦しても自分に致命傷を負わせることが出来るか自信がない。
万一躊躇い傷に過ぎなかったら、森田たちは「大変だ!」と自分(三島)を病院に担ぎ込むかもしれない。
それは三島にとって最大の屈辱であり、三島はこれを最も避けたかった

では仮令躊躇い傷に過ぎなくても確実に介錯してくれる方法はないか。
それが、前述した「三島が割腹する際の奇妙なシステム」だ。
割腹した三島を森田必勝が介錯し、その後森田が割腹して古賀浩靖が森田を介錯する。
もし三島の割腹が躊躇い傷に過ぎなくても、次に割腹しなければならない森田が「大変だ!」と三島を病院に担ぎ込むことは出来ない。
先に「(奇妙なシステム以外の) 他の手段は取れなかった」と書いた理由だ。
三島にとって自分が割腹した時にしっかりと介錯してくれれば、後は森田の割腹などはどうでもよかった。

切腹の作法には二通りある。
介錯人がある手段と介錯人なしの手段だ。
前者の切腹は儀式化しており、介錯人が首を切り落とすのに失敗すると介錯人のお家の恥とまで言われた。
身体が前後に倒れるなどして介錯しやすい位置に首がないと切り落としにくく失敗する恐れがある。
切り落とし易いように首を立てているのが切腹する者の作法で、一刀で首を切り落とされれば自分も苦しまなくて済む。
刀に見立てた扇子を腹に当てるだけのこともあったようだ。
三島は切腹の作法を当然知っていただろうが、敢えて単独での切腹に挑戦した。
彼が臆病者などでなく勇猛であれば、介錯に頼らず最初から単独で切腹しただろうが自信がなかったのだ。
実際には彼の腹は見事に切れていた。  短刀により、臍の下4cm位を左から右へ13cmもの長さで深さ約5cmに切っていた。 傷口から腸が外へ飛び出していたという。
首を差し出す姿勢が崩れていた為か、介錯する森田が動揺していたのか、刀を3回も振り下ろしたが森田は三島の首を切り落とせず、森田に請われて代わった古賀が一刀で三島の首を切断した。
森田は腹に10cmの浅い傷があったが出血はほとんどなく、首は古賀により一刀で切断された。

森田に自殺する必然性は全く無く、自殺する気もない人間に自殺を決意させるには三島といえども大変で、大掛かりな舞台装置が必要だった。
穿って考えると、その為の舞台装置・偽装工作が“楯の会”だった。
本心から国を憂いたとしても三島が自殺する必然性はなく、自殺による効果が皆無なことは三島自身が良く知っている。
三島の“友達”福島治郎は、三島の記録小説ともいうべき「剣と寒紅」の中で、
「晩年、国を憂える武張り振りをいよいよ増幅させていったが、その一徹な武張りは一種の仮装としか考えられなかった。」「本当の自分を隠蔽する命がけの武装。」と書いている。
拙生には“楯の会”も一種の仮装の武張りのように思えるのだ。

三島は死ぬ前に八方に手を尽くしていた。
事件後ドナルド・キーン氏に「本当に三島幽鬼夫になってしまいました」という手紙が届いた。
昔、ドナルド・キーン氏が冗談で三島幽鬼夫と書いたことに回答したのだ。
彼の二人の子供が成人するまで毎年誕生日の贈りものを届けるよう、物を指定してデパートと契約していた。
隣接して住む両親は「全くこちらに寄りつきもしない倅がね、珍しく、向こうからわざわざやって来てね、死ぬ前の晩のことだよ」と福島治郎に語っていたという。
三島は母親の倭文重(しずえ)さんとは非常に仲が良く、三島の死後鼻唄でも歌いかねないそぶりで華やいでいたそうで、大事な大事な公さん(平岡公威)を結 局嫁に取られてしまったが、本当は公さんが好きでもない瑤子夫人に長い間奪われていた息子がこれでやっと自分のところへ戻ってきたという思いだったのでは ないかとしている。
倭文重さんが亡くなる病室に瑤子夫人は一度も見舞いに来なかったという。

三島さんが小説を書くとき、一つの作品をひたすら懸命に仕上げるのかと思っていたら、今日「禁色」を書いて、明日は「夏子の冒険」あさっては「禁色」となっている。 三島さんの頭の中はどうなっているのかと私は驚いた。
愛用の太目の万年筆で、どんどん書いていく。 殆どそのまま編集者に手渡し、訂正がない。 “友達”福島治郎は書いている。

本稿も多くの人が言及したことも、どれも推測に過ぎず本当のことは三島由紀夫以外に分らないが、彼が文筆家として天才だったことは間違いない。
命日を前に、ご冥福をお祈りいたします。

[ご連絡]
イザ ブログが今年(2013)末で終了しますので
来年から下記のエキサイトブログ転居します。
. (gooブログから再度転居しました) 
来年からは下記の苫屋へお越し頂き、今後とも何卒ご笑覧の程
不悪、ご了承願います。
「いじわる爺さん」
ijiwarujii.exblog.jp/
. ジャンル 政治・経済



by ijiwarujiisan | 2013-11-02 05:53 | 指定なし | Comments(1)
Commented by 中野 at 2016-10-16 19:45 x
三島由紀夫先生の、憂国と至誠の心に、森田必勝さんが、共感したと思います。
その他に、理由は、ありません。
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